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“飯豊育ちの米沢牛を食べてもらいたい!”関係者の思いからスタートした『いいで黒べこ祭り』でうんまい米沢牛いただいてきたんだっし

平成30年7月1日(日)に、いいでどんでん平ゆり園内で第30回いいで黒べこ祭りが開催されだのよー

 

どうもっす。はじめて登場、かっつぁん だっす!
先日開催された『いいで黒べこ祭り』を取材してきたっし。

黒べこ祭り

 

当日は晴天。なんだて人の多いごどー

黒べこ祭り

40張りもテントが用意されてでよ、500名以上の方が参加したんだどー

イベントでは、牛肉の販売、飯豊町の特産のワインやどぶろく・地酒が振舞われ、
会場は熱気むんむんだったごでー

黒べこ祭り

 

不慣れなカメラの操作で
隣の綺麗なお姉さんグループに聞きながら
写真撮った写真 笑

黒べこ祭り

 

グループ毎に、飯豊産の米沢牛と野菜、とおにぎりが振舞われてよ、
参加者はみんな汗かぎながら、七輪を囲んで食べだなよー

黒べこ祭り

さしの入った霜降りの米沢牛と新鮮なホルモンが絶品なこと。
うんまい米沢牛だっけー

 

今回振舞われたのは、“飯豊生まれ飯豊育ちの最高の米沢牛”

 

■子牛生産者 大谷部さん(飯豊町大字中)
「自分の生産した牛が肥育農家にわたったとき、最後まで餌を食べてもらえるよう、子牛のうちから良質な粗飼料を十分給餌しています。今後も町内の肥育農家が期待する子牛を生産し町内の畜産振興に貢献したいです」

 

生産者さんの想いを噛み締めつつ、
米沢牛とお酒をいただき、
後半は撮影も忘れて楽しんでしまったのよーm(__)m

黒べこ祭り

 

ところで、
米沢牛発祥がこの飯豊町だってごど、知ってだべが?
何??しゃねがったって?

では、説明しましょう。
、、、実は私もこんな歴史があるとは知らねがったのよ。

 

” 明治維新により米沢藩は廃止され米沢県となり、初代県知事上杉茂憲は、明治4年、「興譲館(こうじょうかん)」(米沢藩第九代藩主上杉鷹山が開校した藩校)に英国人教師チャールズ・ヘンリー・ダラス氏を招き、英語・地理を教授させた。明治8年、ダラス氏が任期を終え米沢を離れる際に、添川村(現在の飯豊町)産の一頭の牛を横浜居留地へ持ち帰った。その牛肉を味わった人々がその旨さを口々に褒め称えたことから、ダラス氏は米沢の家畜商と横浜の問屋を契約させ「米沢牛」として売出した。これが評判となり「米沢牛」が全国に知れわたる端緒となった。
また、ダラス氏の勧めで明治8年に米沢市内に最初の牛肉店が開店されて以来、多くの牛肉販売専門店が次々と開業した。明治以降、米沢では絹織物が産業として興っており、京、大阪など関西地方から織物の買い付けに訪れた商人を相手に米沢牛の「牛鍋」をご馳走することが多かったという。牛肉の味に慣れていた関西の人々を魅了したことが、米沢牛の評判を全国的に広めるきっかけになったと考えられる。”
農林水産省 地理的表示保護制度(GI)

 

米沢牛の歴史は古いんだなっし。

そして、「米沢牛」は2018年3月3日に、新たに地理的表示(GI)登録されだのよ。
地域全体で肥育技術の向上に取り組んでいる点が高く評価されだんだなっし。

 

■地理的表示(GI)保護制度とは
地域には長年培われた特別の生産方法や気候・風土・土壌などの生産地の特性により、高い品質と評価を獲得するに至った産品が多く存在しています。これら産品の名称(地理的表示)を知的財産として保護する制度が「地理的表示保護制度」です。
GI制度は品質にお墨付きを与え、不正使用を国が取り締まる仕組み。今回の登録で28品目となり、肉牛は「但馬牛」「神戸ビーフ」が登録されていて、これで5件になりました。【地理的表示(GI)保護制度について

 

昔から現在まで、屈指のブランド牛として認知され続けているのは、
昔から維持されている飯豊の豊かな風土が育んだものなんだなっす。

ご馳走さまでしたー!

 

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