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上杉神社に行ったら「おしょうしなガイド」に会ったんだっす!

山形県置賜郡の中でもやっぱり一番に紹介さんなねのは「上杉神社」だべということで取材に行ってみだら、取材にもってこいの人に会ったんだっす!

 

おしょうしなガイドの会 副会長の根津勝雄さん

おしょうしなガイド 007

上杉神社を紹介する前にちょこっと「おしょうしなガイドの会」について副会長の根津勝雄さんに話を聞いたんだっす。

おきたま新聞

無料観光案内の「おしょうしなガイド」の評判は聞いったんだげんども、まずは会のはじまりから現状の活動内容などを教しぇでおごえっす。

根津

「おしょうしなガイドの会」は平成7年に18名のボランティア活動の有志で設立しました。ちょうど今年で20周年にあたり、10月に20周年記念式典を開催しました。

「おしょうし」は英語で言えば「サンキュー」それに「な」を付けると「サンキューベリーマッチ」と言う意味合いの米沢の方言です。

現在の会員数は37名になっています。毎年4月1日~11月30日まで会員が交代制で休みなく活動しています。(冬期間は休業しますが予約のみご案内しています。)

活動範囲は上杉神社 松岬神社や周辺の米沢市上杉博物館 上杉神社稽照殿 上杉記念館をはじめとして、観光客の皆さんの要望により市内の上杉家廟所 春日山林泉寺 岩上山普門院 酒造資料館東光の酒蔵 宮坂考古館 笹野観音 直江石堤などの市内名所・史跡めぐりの案内と説明をしています。20年間で50万人以上のお客様をご案内しました。ちなみに会員の平均年齢は設立時平成7年は64.6歳  現在平成26年は71.4歳になっています。

おきたま新聞

はあ~!!もう20年も活動してやったんがっす。たいしたもんだなっすー。今の会員平均年齢は70歳を越してるとおっしゃったげんども、根津副会長はなんぼになやったんだっす?

根津

私は昭和13年生まれです。

おきたま新聞

76歳には見えねなっす!やっぱりいろんな活動をしてやっからいつまでも若くいられんなだべなあ。

根津

実は私はもう一枚 名詞を持っているんですよ。「西吾妻山案内人クラブ」にも参加していて山登りもするんですよ。 よかったら来年にでもご案内しますよ!

おきたま新聞

えーーー?!西吾妻山と言ったら「天元台高原」だべっす。いやあー!山登りとはおそれいったなっすー。天元台高原の取材は体力と相談して慎重にさせておごえっす。(山へ登ったただけで体力なくなって下山できなくて1年もしないでおきたま新聞が廃刊なんてことになったら笑い話にもなんねえべ)

それでは上杉神社周辺の案内を1時間程度でやられているところを取材させておごえっす。

根津

わかりました。それでは早速まいりましょう。

上杉神社 012

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というわけでちょうど観光でござってた4人の女性に「お時間あったらご案内しますよう!」と声をかけて無料観光案内をスタートしたんだっす。

上杉神社 015

あらためてお堀の外に出て、まずは 米沢藩第9代藩主 上杉鷹山公の像の前にきました。
この日は まわりは紅葉で綺麗に染まりお天気も最高

上杉神社 026

根津

上杉鷹山公は九州宮崎県の高鍋藩から10歳で米沢藩へ養子となりました。17歳で藩主となり、19歳で米沢にきました。それまでは江戸で暮らされておりました。

その当時の米沢藩は非常な財政難にあえいでおりましたので財政改革に着手されます。大きく分けて3つの事をやりました。

一つは農業おこし産業おこしをやりました。田んぼを増やすには水が足りないので飯豊山にトンネル(あな堰)を掘って雪解け水をひいてきました。桑の木を100万本植えて養蚕をやって織物を作りました。それが「米沢織」です。楮の木を100万本植えて和紙を作りました。漆の木を100万本植えて蝋燭を作りました。小野川温泉の湯花を利用して塩田を作りました。それから山形県天童市は将棋の駒で有名ですが、将棋の駒の原型は米沢の笹野一刀彫なんです。また、カルシュウム摂取の為に各戸に池を作らせて鯉を飼育させました。

二つ目には人の教育です。勉強させようと藩校「興譲館」を作りました。興譲館出身で典型的に多いのは戦時中の海軍の将校です。海軍大将が3人 海軍中将が12人 海軍少将が16人 大佐、少佐、中佐クラスで72人もいるんです。なぜそんなに多いかと言うと海軍兵学校はお金をもらいながら学校に行けたので、「興譲館」で学んだ藩士の次男三男の頭のいい人は皆海軍兵学校に行ったのです。それから比較的にお医者さんが多いです。鷹山公が長崎へオランダ医学を学ばせにやったからなんです。

三つ目にやったのが徹底した倹約合理化を図りました。鷹山公自らが食べ物は一汁一菜、着物は木綿の着物、当時お城にいた約60人の女中さんを9人まで減らしました。鷹山公自らの仕切料(給料)を1500両から208両に減らしました。そうして72歳で亡くなる時には200億とも300億とも言われた借金を返済されたのでした。

後ろを向いてください。

根津

ここには昔「山形県立米沢工業高等学校」があったのですが、敷地が狭かったので郊外へ移転しました。それで平成13年に出来たのが「伝国の杜」です。右半分が「米沢市立博物館」です。左半分は県でやっているホールがあります。

この中には、世界的に有名なものが3つあります。二つは国宝になっています。

まずひとつは、上杉謙信公が織田信長から頂いた「上杉本洛中洛外図」と言う屏風があります。米沢市制100周年の時に上杉家から米沢市へ寄付されたのです。2億円とも3億円ともいわれる国宝ですから、そのレプリカを作って飾ってあります。レプリカといっても8千万円もかけて作った、かなり精巧なものですよ。春と秋の年2回は虫干しもあって、本物とレプリカをふたつ展示するのですが、私の目では区別がつきません。

もうひとつは、「上杉家文書」殿様の手紙とか古いしきたりとか全部で2018点あるんです。これも国宝になっています。山形県には国宝が6点あるんですが、その内の2点がここにあるんです。

それからホールには「能舞台」があるのですが、その舞台がフォバークラフト方式になっていて、空気の力で人が押しただけで移動できるのです。

通路の真ん中の白い部分は景観のためにしているのではありません。

根津

実はあの白い部分の地下30センチ位のところに網の目にパイプが通っていて雪が積もらないような仕組みになっているんです。だから上杉神社は冬期間でも来れますよ。2月の第2土曜日と日曜日には、この通路の両側をはじめ、本当にたくさんの燈篭を雪で作ります。その燈篭に蠟燭で灯をともして・・・。「雪燈篭まつり」です。米沢では雪を利用したお祭りもしているんです。

おきたま新聞

かなりはしょった文章にしたんだげんど、根津副会長のご案内と説明はかなり詳しいものだけっす。キャロライン・ケネディ大使が9月30日にいらっしゃったことのいわくとかもお話頂いたのですが、このあと鷹山公直筆の石碑とか「松岬神社」「上杉神社」の紹介は来週に続きまーす。

乞うご期待!!

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